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フラメンコの魅力とは何かと問われたら、私は「フラメンコの世界には神話と伝説が満ち溢れていること」と言います。
フラメンコギターやフルートを演奏している時の「演奏者」としての自分が聞かれたら多分別の事を言うと思いますが、「物書き」としての自分が聞かれたら、答えるのは断然それです。
しかも、神話、伝説と言っても、一般的によく言われる「ファンタジー」「オカルト」というのとも違います。
それどころかむしろ、フラメンコは一見とてもリアル、現実的、人間的、世俗的、肉感的で生活感があってとても生々しいのですが、その中に、境界線がとても曖昧な形で非現実的なものが挿入されるので、神話と歴史、伝説と事実が複雑に入り組んで、それらを取り分けるのに苦労するのです。
忌まわしい女の伝説が絡むために、その名を口にするだけで呪われてしまうという、フラメンコの曲の種類の名前だとか、そもそもフラメンコ自体が、ジプシー(ロマ)が彼ら一族の中で長い間門外不出にして作られたものだとか。
実在の事柄や人物にまつわる神秘的なエピソードは、フラメンコの世界に接していれば、いくらでも耳にします。
フラメンコをする人々の間で使われる言葉もまた特徴があります。
「ドゥエンデ」(魔性、魔力)、「アイレ」(空気、特有のムード)、「ケヒーオ」(嘆きのうめき声)など。
フラメンコ用語は、通常のスペイン語にアンダルシア地方の方言、ロマの言語、それに犯罪者の隠語などが混ざり合って、特有の雰囲気を醸し出しています。
その言葉を使う時、私は、子供の頃、友達と秘密を共有した時のドキドキワクワク感を思い出します。
仲間内だけで共有される「秘密の言語」には、とても心が踊ります。
何故なら、その言葉を使うことによって、そこが限定された特別な空間であること、そして自分たちはそこに出入りできる選ばれた者であるといったような、秘密結社的なムードが漂うからです。
この効果によってフラメンコは、「特定の土地の中で育った特定の血を持つ選ばれた者たちのみが、その秘密と深淵に触れることができる」という、崇高さと神秘性を生み出すのです。
「ドゥエンデ」たち。
スペイン特有の妖精、小人の類。
アーティストがすごいパフォーマンスをした時などに、
「ドゥエンデがついている」などと言う。
神話や伝説に、謎めいて秘密めいた雰囲気。
フラメンコがこのように、現代に慣れ切った私たちからすると少し懐かしく、どこか曖昧で神秘的なムードを備えているのは、きっと、この文化がもともと文字や楽譜を持たず、長い間口承で伝えられてきているから、ということもあるでしょう。
事実が人々の記憶の中にだけ存在しているために、それらは曖昧に漂い、形が常に変化し続けるのです。
さらに言えば、フラメンコの神話、伝説性は、その誕生にもついて回ります。
フラメンコが生まれる前、アンダルシアにはいくつもの民族がやってきては消えましたが、それぞれが文化の遺産を残していきました。
それらはその都度共生し、混ざり合い、千年もの時をかけて、アンダルシアという、様々な文化がモザイク状に編まれた豊かな大地を作り上げました。
そうして母なる大地アンダルシアがすっかり肥沃になり準備が整った後、最後に父たるロマがやってきて、彼らは出会ったのです。
ロマは、生きるためにその肥沃な大地に根付いた文化を耕し、吸収し、子どもを残しました。
それがフラメンコです。
このようにフラメンコは、異なるものが共に生き、血が混ざり合い、出逢いを繰り返し、長い長い間をかけて形を成した、美しい結晶なのです。
この話を取ってみても、まるで壮大な創世神話のようです。
現実かと思ったら、気づけばいつの間にか非現実的な世界に足を踏み入れている。
非現実的かと思えば現実に。
この現代において、謎めいた生き物のようにいつも動き、変化し、簡単には境界を定義できないような曖昧さを持ち続けるフラメンコに、私はロマンと魅力を感じます。